主宰:佐藤由香

岡山県倉敷市生まれ

4歳よりピアノを始める

大阪音楽大学 音楽学部器楽科ピアノ専攻卒

 

中学校教諭音楽科1種免許状

高等学校教諭音楽科1種免許状

リトミック研究センター ディプロマB

日本こども教育センターリトミック指導1st・2nd終了

ベビーマッサージセラピスト初級講座終了

 

世田谷用賀ピアノ教室チャイム主宰

某音楽教室に講師として3年間勤務の後、独立

指導経験は200名を超える

 

ドイツ・シュトゥットガルトで1年間の子育て生活を経験、帰国後都内在住

2021年リトミック教室「さくらリトミック」世田谷校・江戸川校を同時開講

口コミや紹介で地域に根ざした教室を目指す

 

明るく、楽しく、上達をモットーに、生徒さんとのコミュニケーションを大切にしながらレッスンしています。

保護者の方のご意見もよくヒアリングしながらレッスンを進めていきます。

 

2児の男の子の母


♪ わたしとピアノ ♪

 

~幼少期~

4歳の時、近所にピアノの先生が引っ越してこられたのが、私がピアノを始めるきっかけとなりました。 当時自宅には母親のピアノがあり、4歳の子供が教室に通うのも家から徒歩1分ということもあり、すぐ通い始めました。

 

4歳の私は本当に先生が大好きで、最初の頃は先生に会いに行くのが目的だったように思います(笑) かわいいお洋服をいつもお召しになって、とても美人でとても優しい先生でした。

 

それと相反するかのように、母親との自宅での練習はそれはそれは厳しいものでした。本当にマイペースな子だったので、練習もなかなかはかどらず母親もどんどんヒートアップしていきました(笑)

泣きながら、怒られながら練習した日々があったからこそ、今の自分がありますが、それでも子供ながらに辛いと思っていました。 母親に家から追い出され、泣きながら先生の自宅に逃げ込み、母親に家に入れてもらえるよう一緒に頼んでもらったこともありました。

今でこそ笑い話ですが、あの時母親は顔から火が出るほど恥ずかしかったそうです。

どんなことがあっても、ピアノを弾くのは本当に大好きで進歩する自分に実感できるのが大きな喜びでした。そしてどんどんピアノが弾けるようになることを嬉しく思うようになりました。

 


~小学生~

小学生になると練習の成果が出たのか、合唱コンクールや学芸会などピアノ伴奏を任されることが多くなり、人前でピアノを弾く楽しさを知りました。 一生懸命練習すれば弾けるようになる。

 いつしか母親の手ほどきもなくなり、自分でピアノに向かう日々となりました。

 


宝塚ベガホールにて門下発表会
宝塚ベガホールにて門下発表会

~音大進学~

高校生になって、本格的に進路を決める時、恩師と同じ音楽大学に進学することを決意。月1回、新幹線で大学の先生のご自宅までレッスンに通いました。

高校は普通科に進学したので、数少ない音大志望の子達と励ましあいながら練習に励んでいました。音大では、全国から集まった同じ志の人たちばかりでとても刺激的な毎日でした。あちこちからいろんな曲が流れてきて『あの曲はなんて曲だろう・・・』と、いつでも新しい発見の連続でした。

 


県外入学者だったので、大学の女子寮に入りました。門限22時!

住み込みの寮母さんとは門限をめぐって、寮生達はよく衝突してました。試験前になると、みんな殺気立っていて、朝8時の練習してもよい時間に突入すると、隣の部屋からショパンの革命、上の階から夜の女王のアリアがこだまする、そんな目覚めのよい(?)朝でした。夜遅くまで音楽や恋愛、将来について夜が更けるまでよく語り明かしたもです。

 


大学2回生の時
大学2回生の時

~音大時代 パートⅡ~

少し余談ですが、音大時代の私です。大学生活を4年間大阪で過ごしました。 披露宴ウェイトレス・イベントスタッフなどいろいろなアルバイトも経験しました。人と関わる接客業に従事したおかげで、対人とのコミュニケーションを学びました。そして、笑いの聖地、大阪でしたので関西のパワーに圧倒されることが多かったように思います。

休みの日にはよく梅田やミナミ(心斎橋や難波)に出かけました。


アルバイトの中でも少し変わったものといえば、ピアノバーのピアニストでした。ここではクラシック以外にも、洋楽やジャズなどのリクエストがありました。ビリージョエル・カンペンターズ、ビートルズなどの名曲をよく演奏しました。


 

~講師として~ 

音大を卒業し、音楽教室のピアノ講師として3年間勤務。

新任から60人の生徒のレッスン指導を任され、教材研究やレッスンの指導法を必死で勉強しました。

大変でしたが、とてもやりがいのある環境でした。そして生徒一人ひとりが心から音楽を好きになってもらえるように試行錯誤の繰り返しでした。

 

保護者様とお話しをしていてよくあるのが、昔は習っていたけどやめてから全然ピアノが弾けない、ということ。ある程度の長い期間習っていたのに、もう楽譜の読み方もピアノの弾き方も思い出せないのだそうです。特に嫌々続けていた方々は、やめてから二度と再びピアノに向かうことはなく大人なります。

そして子供ができて、自分の心に残っていた『楽しくピアノを弾きたかった』という想いが、お子様にピアノを習わせるきっかけとなることが多いです。

 

私はそんな想いを託されているのだと思っています。


2012・10・12恩師と。演奏会終了後
2012・10・12恩師と。演奏会終了後

~わたしも日々勉強~

よく『先生もピアノ練習してるの?』と聞かれます。日々の練習の大切さは身にしみて分かっています。

 学生の頃は情熱的で速度の速い曲が好きだったように思いますが、最近ではゆったりとした美しく旋律を歌う曲も好きです。

大学3回生の試験で演奏したシューマン ソナタ2番は、ピアノ曲の中でも1番好きな曲です。昨年2012年の演奏会にて久しぶりに演奏しました。学生の頃よりも、気持ち的にも余裕を持って、さらに新しい解釈を加えて演奏できたように思います。


母になりました

2017年3月に長男、2020年4月に次男を出産。

絶賛子育てまっただ中、ベビーシッターや託児所を利用し仕事復帰。

2018年は夫の仕事でドイツのシュトゥットガルトに1年間帯同しました。

 

お仕事や家事、育児もあるなか、ピアノレッスンの送迎もされているお母様が多いです。(お父様も時々いらしてくださいます!)

親として、子供にピアノを習わせるなら、何を学んでほしいか、どんなことを経験してほしいか、改めて考えさせられます。音楽を通して人生が豊かになるような、レッスンを心掛けたいです。

 


海外で子育て

南ドイツ・シュトゥットガルトで1年間過ごしました。

長男が1歳になってすぐ渡独しました。ドイツでの生活は最初の4ヶ月くらいはなかなか慣れず、気持ちに余裕がない状態でしたが、少しずつドイツの生活に慣れ、現地での人との繋がりもできて楽しめるようになりました。

さすがヨーロッパ。道では音楽家が演奏していたり、音楽がどこにでも溢れていたこととや、芸術分野の地位が確立されていたことが印象的でした。日本でももっと芸術分野に価値を見出してもらえたらいいのにな、と思っています。そのほうが子供たちの成長にも良い影響があると思います。

海外生活は初めての体験でしたが、異国の文化に触れることで、日本とはまた違ったすばらしさや、改めて日本のよさにも気付けた素晴らしい体験でした。写真はベルリンのブランデンブルグ門です。

 

2022年、親子連弾の実現

当教室の発表会とは別で、友人の先生と合同で発表会も開催しています。こちらには発表会にご都合がつかなかった生徒さんを数名ご案内しています。

今回は長男(当時5歳・年長)と親子連弾に挑戦しました。長男は早生まれで発達がゆっくりな子なので、ピアノのレッスンを通して、先生とのコミュニケーションで言葉のやり取りを学んだり、集中力を高めたり、人前での演奏など、たくさんの刺激になる経験の場を持つことで、自信をつけてあげたいな、と親としても思っています。

親子連弾ってこんなにドキドキするんですね!!保護者の方の気持ちがよーくよーく分かりました。それと同時に、一生忘れられない思い出にもなりました。親子で一緒に共有できることなんて、本当に限られているので。長男と同じ目標に向けて頑張った日々や、ステージでの景色、長男のピアノの音色。すべてが私の宝物になりました。

写真は実はリハーサル風景です。